Sexy Zone、それは思考が奪われ、記憶が飛ぶ現場。

Sexy Zone Tour 2019 PAGESが良すぎた。おびただしい量の最高を浴びせられ続けて、正気を保つのに必死だった。興奮の鈍器で強く頭を殴られ続けて半分気絶していたので、公演中の記憶を殆ど失ってしまって本当に悔しい。これ以上記憶を失わないためにも、あのとき感じた興奮を言葉に置き換えておきたい。

 

Sexy Zoneに片足突っ込んだのは昨年度末。関ジャニ∞の現場、GR8ESTの追加公演が終わってオタクとしても一息ついていた頃、TLセクゾの新曲が良すぎると話題になった。そう、「カラクリだらけのテンダネス」。私も曲を聴くなりハートを撃ち抜かれた。曲が良すぎる。どうやらPVも最高に良いっぽい。若いグループに惹かれつつあるという事実を否認したい私は、「曲が良すぎるから仕方がない」と自分に言い訳をして、初めて関ジャニ∞以外のグループのCD購入した(関ジャニのファン歴自体も当時で一年と少しであり、かなりジャニオタとしての歴は浅い)。そして、曲の良さとPVの良さ、トドメに中島健人様の凄まじい顔の良さにトリプルパンチを喰らい、瞬く前にSexy沼に撃沈した。テンダネスのCDを買った数日後にファンクラブに入金し、ちゃんと追っていなかったドロ刑のダビングをオタク仲間から送っていただき、スキマ時間でSexy Zone Channelを漁った。こうして私のセクラバとしての生活は幕を開けた。

 

私はきっと、アイドルという職業に、ジャニーズ事務所に、自分の魂を丸ごと売り飛ばしたかのようなアイドルスタンスの人が好きなんだと思う。だから中島健人くんにものすごく惹かれた。しかも私は彼と同い年。私が中学二年生だった時、彼も遥か遠くの知らない街で中学二年生をしていたという事実。同じ速度で、同じ歩幅で、毎年一歳ずつ年を取っているという事実。それを思うだけで気がおかしくなりそうだった。これを書いている今だって、興奮と絶望の入り混じった、混沌とした感情に溺れそうになりながらパソコンに向かっている。私は中島健人くんと同じ人間であるという事実が、同じ歳であるという事実が、嬉しくて苦しい。

 

そんなことはどうでもいい。私はセクゾの初学者としてオタク活動を始めた。年明けにはニセコイの舞台挨拶応援上映が当たり、慣れない新宿に繰り出して初めての生ケンティーを拝んだりもした。そして、その麗しさに卒倒し、インフルエンザにひと月のうちに二回かかったりもした(言い過ぎた。これらに因果関係はない)。

 

そうこうしているうちにツアーが決まり、チケットが当選し、大阪城ホールにお呼ばれした。名古屋京セラ東京ドームにしか入ったことがなかったので、初めてのアリーナツアー、はじめてのSexy Zoneに胸が躍った。メンバーカラーの服を着た人間の少なさ、ファン層の若さなどに度肝を抜かれながら、関ジャニ∞を通じて知り合ったオタクの友人と一緒に会場に入った。初のセクゾ、初のアリーナツアー、そして手には自名義のチケット。

 

いざ発券すると、そこには「アリーナ Aブロック」の文字が。半狂乱になりかけながら場内にログインした。しかも真横と真後ろが通路。荷物の整理をしていたら、係のお兄さんから「荷物は椅子の下でお願いしますね」とにこやかに言われた。もしかして、この通路をトロッコが通る?考えるだけで気が触れそうになった。平静を装いながら着席した。ステージとの距離がおかしい。距離感が学芸会。参観日。もしかして、JR京橋駅の対岸のホームよりも近いんじゃないか?そんなレベルだった(帰路で確認したけれど流石にそこまで近くはなかった)。「失神か失禁をしてしまいかねない近さ」、私は友人にそう言い放ち、開演を待った。例えの表現が全くSexyではないのはご容赦願いたい。

 

 

そして開演。開演と同時に気が狂った。なんてところから出てくるんや。私たちはどこを見たらいいんや。初速から全速力でぶっ飛ばされて、必死で掴まっていても心身がぶっ飛んでいきそうだった。目の前で起こる現象を、すこしでも取りこぼさないように視覚と聴覚をフルに使って受け取ることに必死だった。だいたい、一曲目からテンダネスっていうのがどうかしている。最高すぎて気が狂う。ただでさえ気が触れそうなのを堪えるのに必死なのに、どうしてタレントが客の海を泳ぐ?本当にファンが失禁したらどうしてくれるのか?客の海を泳ぐ演出、自宅にて映像で見ただけで死にかけていたのに、それが目の前で繰り広げられている?本当に?大丈夫なのか?メンバーが近くの花道を通るたびに私は奇声を上げた。自分のブロックに近づいてきたケンティーは目の前に来ることなく舞台上に戻っていった。危なかった。彼と私の人生がほんの一瞬だけ交わるところだった。そんなことがあってはならない。身分違いの恋の気持ちで応援することで、なんとか正気を保って生活を出来ているから。良かった。

 

圧倒されていると、一曲目終わりに全員が撃たれた。そんなことがあるのか?たった一曲を歌い終わって、突然撃たれる演出?嘘やろ?マジで!?!?!そう思っていると、衣装が変わり、二曲目が始まった。一曲で衣装変わんの?まじで?ほんまに?混乱しているあいだにもコンサートは進む。私は、目の前で繰り広げられる最高を、なるべく取りこぼさないように受け取ろうと必死になった。

 

セクゾのコンサートは、あまりにも一瞬一瞬が最高すぎた。人間の脳の限界。あまりにも最高すぎるものを浴びせられ続けると、人は記憶が飛ぶらしい。よくわかった。トラウマティックな出来事なんかは目に焼き付いて離れなくて、どれだけ忘れたくても忘れられないものなのに、墓場まで鮮度100%で持っていきたいような忘れたくない最高の光景は、どうしてこうもすぐに忘れてしまうのだろう。私は最高の空間に身を置きながら、人間の脳と身体の仕組みを呪った。

 

特にメドレーがやばかった。記憶がない。とめどなく降ってくる“最高”に溺れないように、必死でもがいた。トロッコに乗って次々にやってくるメンバーを、プールの水中から太陽の光を見るような気持ちで見上げた。自分でも何を言っているのかわからない。全員が真後ろの通路を通過した。マリウス葉が放った天使の投げキッスを頭から浴びた。菊池風磨のすました表情から白い歯がこぼれた。それはまるで、濡れた花びらから一滴の雫が落ちる瞬間のようだった。佐藤勝利の顔の良さに魂が打ち震えた(小学生のコスプレは可愛すぎて「萌え」の権化だった)。頭上を何度も通過する中島健人を祈るような気持ちで拝んだ。彼がトロッコで真上に来たとき、このまま時が止まればいいのにと思った。

 

距離の近さばかりに言及してしまったが、演出構成展開が本当に凄まじかった。例えるならば、蓋を開けるたびに違うものが出てくる魔法の宝箱のような演出で、時速200㎞で走り抜けるジェットコースターのような構成だった。50メートル走のスピードで3000メートルを完走しているかのようなステージだった。すべての曲が見せ場で、すべての瞬間が最高だった。あまりにも盛り沢山すぎて、はじめてライブの2時間半を長く感じた。それほどまでに濃密だった、すべてが凄まじかった、えげつない量のアドレナリンが分泌された。強すぎる四人が並ぶ光景を見て、聡ちゃんが戻ってきたときの爆発力を想像して恐ろしさすら感じた。絶対最強になる、時代をつくるどころか、世を統べるんじゃないだろうか。そんなことを考えながら、くるくる変わり続ける目の前の景色を眺めていた。これでもかというほど作りこまれた演出構成展開に、一人一人のパフォーマンスに圧倒された。本編終演時の映像には、新参者ながらも涙してしまった。

 

 

全編ノーカットで走馬燈で見たいようなライブだった。あまりにも良すぎた。翌日からしっかり労働で、新年度から仕事の負担が増えたが、「まぁSexy Zone最高やったし、いっかぁ☆」の気持ち一つで一か月間すべてを許せた、精神の安寧が保たれた。本当に最高のライブだった。

横アリでも一公演、Sexyを浴びさせていただいた。バクステ側から演出の全貌を把握できる座席で、失われた記憶を補完すべく、五感を総動員して目に耳に脳に懸命に焼き付けた。二度目のSexyも最高だった。二回だけじゃ足りなかった。もっともっと見たかった。

 

 

私は嬉しいことにSexy Zoneと同世代なので、彼らが「時代を作る」「令和はSexy Zoneの時代に」と何度も言っているのを見るたびに、私も少しは頑張らなくてはと思う。Sexy Zoneがアイドル界の、ジャニーズ界の、芸能界の次の時代を作っていくように、私だって自分の働いているフィールドで頑張って力をつけて、次の良い時代を作っていけるように日々を過ごすぞ。今の未熟で非力な私では、そうなれるのはほど遠いけれど。私も私なりに次の時代をつくる一助となれるような働きが出来るように頑張るから、Sexy Zoneは活躍する姿を見せて幸せと元気を与え続けてね。烏滸がましいかもしれないけれど、一緒に次の時代をつくろうね。Sexy時代の目撃者に、証人になれるように、辛くても悲しくてもまだまだ死ねないぞ。

 

また季節が一巡して桜が咲くころ、今より少しだけ成長した姿で会いにいけるといいなぁ。それまでは血みどろになりながらでも頑張ろう、生きてやろう。