8BEATを終えて - 新生した姿を見て、過去の幻影を追う

KANJANI∞ Re:LIVE 8BEATを観た。関ジャニ∞を好きになって四年目、GR8ESTから通い始めて三つ目のコンサートだった。

今回のコンサートは、一年九ヶ月の沈黙を経て、五人の関ジャニ∞が出した答えであり、グループとして何に重きを置くか、今後グループとしてどう生きていくかを示すものだと捉えている。47都道府県は、「メンバーがまた一人脱退した関ジャニ∞」としてのコンサートだったため、五人の安定期に入った関ジャニ∞が作るコンサートとしては、初めてのものだった。

何より、公演全編を通して、めちゃくちゃ踊ることに驚いた。無責任ヒーローやイッツマイソウルまで一曲通じて踊っていた。町中華もYESもLet Me Down  Easyも全てダンス曲だった。踊れる曲は全て踊っていた。関ジャニ∞はアイドルであり、全力でアイドルをしていこうとしていることが痛いほど伝わってきた。あまり踊らなかったすばるくんと亮ちゃんが抜けたからこそ、こんなにもバリバリ踊れるようになったようにも思えて、少し切なかった。

五人になって二年が過ぎたが、私は未だに、七人、六人時代の幻影を追い続けていたことに気付いた。コンサートで五人の姿を生で見て空気感を肌で感じて、五人で完全体になった関ジャニ∞に着いていけなかった。

私はすばるくんや亮ちゃんの居た頃の、いびつな歪み方をしている尖り切ったアイドルらしからぬ関ジャニ∞のことが好きだった。怒号のように歌う渋谷すばるの歌声が好きだった。渋谷すばるの魂を受け継いで、怒鳴り散らすように歌う錦戸亮が好きだった。アイドルの枠から溢れ出していってしまった彼らがグループにもたらしてくれる、触れると感電しそうな危うさが、割れた破片のような鋭さが、火傷しそうな剥き出しの熱さが大好きだった。そして、六人、五人になった関ジャニ∞の、火事場の馬鹿力と、血みどろで泥まみれになりながらも前へ進む姿にとっても感銘を受け、恋焦がれ、惚れ込んでいた。アイドルとしてはあまりに不恰好な関ジャニ∞が大好きだった。

暴論になるが、私はグループとしての関ジャニ∞に対しては、"アイドル"の面を然程求めていなかったことに気付いた。私は、イケメンカメラ目線スポーツ・いきなりドッジと、METROCK 2017を観て、関ジャニ∞のファンになった。私は、アイドルらしかぬバラエティをする、アイドルらしからぬバンド演奏をする、そんな関ジャニ∞のことを好きになった。アイドルの枠からこれでもかと言うほど外れて、カウンターカルチャーど真ん中を全速力で爆走する、そんな関ジャニ∞のことを好きになった。あの頃の関ジャニ∞は、バンドとバラエティの二つの軸を中心に売り出されているように見え、私はそこを好きになった。

 


KANJANI∞ Re:LIVE 8BEATを観て、関ジャニ∞が、アイドルの枠のなかに収斂したと感じた。アイドルとしていびつな形だった関ジャニ∞が、角が取れて丸くなっていた。火傷しそうな危険な熱さは消え、心地よい穏やかな温かさに変わっていた。血塗れで泥まみれの身体はすっかり綺麗になっていた。私が見てきた関ジャニ∞の姿とは、全く別の姿がそこにあった。

私はとても新しいファンなので、もっと昔からファンの人は、彼らのアイドル的な側面をも沢山見ており、そこを好きになっている人も多いのだろう。その人たちは、今回のコンサートも、私が抱いた感覚とは全く別の感覚で観られているのだろう。関ジャニ∞がバンド演奏をしていないコンサートをしていたことを、私も勿論知っている。多面体であるアイドルのどの面を好きになったかが、いつの時期を好きになったかが、かなり重要なのかもしれない。

関ジャニ∞は、嵐やV6、TOKIOが居なくなり、事務所全体を考えたときに、王道アイドルとしての側面をも担っていかなければならなくなったのかもしれない。グループとして何に重きを置くかを考えたときに、一番重きを置きたいのがアイドルとしての姿だったのかもしれない。バンド曲が少なかったのは、錦戸亮が抜けた穴を、まだ五人では塞ぎ切れていないからなのかもしれない。でも、二年弱の時を経て五人の関ジャニ∞が出した答えが"アイドル"なのであれば、私も関ジャニ∞との付き合い方を考えなければいけないな、と思った。

ただ、関ジャニ∞にアイドルを求めていないとは言いながらも、全力でファンサービスをする丸山隆平さんのアイドル姿は大好きだ。今のところこの自己矛盾は解決出来ていない。

 


関ジャニ∞との付き合い方を考え直してみても、離れることは考えられない。好きだったものを、もう好きじゃないとは、簡単には言えない。関ジャニ∞がバラエティとバンドを辞めた訳ではない。私が好きな関ジャニ∞の姿はこれからも、きっと沢山見れると思う。

私はHigh Spiritsに代わるインスト曲をずっと求めていたが、今回のアルバムでは最高の形でそれが叶った。インスト曲が欲しいというニッチなニーズにも応えてくれることが、置いていかれていないことが、とても嬉しかった。私の望むものと、彼らが提供したいものが一致していることが、嬉しかった。

それに、私は五人の関ジャニ∞のこともちゃんと好きな自信があった。七人時代の無傷で完全な強さの関ジャニ∞の姿はもう二度と見れないし、六人時代の歪な輝きの凄まじさも過去のものだけど、五人になっても新しくて素晴らしい世界を見せてくれている。どんな大きな喪失を経験しても、らしさを失わずにしなやかな強さで輝き続ける関ジャニ∞のことを、とても素敵だと思う。

今の関ジャニ∞の五人とは、共に大きな喪失を経験した。荒れ狂う戦火のなかを、手を取り合って共に生き延びた。だけど、混乱の時期に出会い一緒に過ごした人とは、安全な場所に辿り着いて暮らしが始まると、今までと同じ関係でい続けることは、案外難しいことなのかもしれない。

 


 

ジャニーズのファン層はスペクトラム式に、大きく三層に渡って広がっていると思っている。一番熱心なファン層は、供給されたコンテンツの全てを喜んで消費する層。次に、コンテンツが好みのものであった場合にのみ消費する層。その次がお茶の間。私は最初一番目の層のファンをしていたが、いつの間にか二番目の層のファンになりつつあった。好きな気持ちは変わりなくても、自分の人生の都合で常には追いかけられなかったり、気持ちが追いついていかなかったりもする。いつも最前線で追いかけ続けるファンでいなくても、自分のペースで応援し続けるファンでいれたら、それでいいかなと思う。

ジャニオタだから自担も自軍も推す/降りるの二択しかないと考えていたけれど、ジャニーズのアイドルのことも、好きなバンドをリリースごとに追わなくても数年ぶりにふらっとライブに行ったりするみたいに、そんな気持ちで細く長くゆるく好きでいてもいいのかな、とも思う。

 


私は8BEATのコンサートの初見では、アイドルとしてのコンサートを全力で成し遂げる関ジャニ∞の姿に面食らい、どう応援していいのかが分からなくなった。七人、六人時代の幻影を追ってしまい、五人の関ジャニ∞の姿に戸惑ってしまった。だけど、私は五人の関ジャニ∞のことを、マイペースながらもまだまだ応援し続けたいと思った。まだまだ変化に戸惑うことはあるかもしれないが、緩やかに長くこれからの関ジャニ∞の姿も見届けていきたい。